バス釣り偉人伝④ The Giant.

ご存じのとおり、バスフィッシングはアメリカ発祥のレジャースポーツであり、日本のそれは文化的にも技術的にも、本場アメリカのそれを色濃く残している。ならばその本場であるアメリカのバスフィッシングは、どのような人物たちによって作られたのか。この連載は、アメリカのバス釣りに多大なる影響を与えた伝説たる巨人たちのプロフィールである。

BILL DANCE

[ビル・ダンス]

1940年 テネシー州生まれ。

世界で一番知名度が高く、バス釣りの世界に最も影響力が強いアングラーは、間違いなくビル・ダンス氏だと思う。現在でも放映されている彼の番組『ビル・ダンス・アウトドアー』は1968年に第1回が放映され、累計2000以上の番組が制作されている。釣り番組としては異例の長寿番組であり、視聴者数は週に250万人を記録したこともあるという。アメリカでは現在もアウトドアチャンネル、ワールドフィッシングネットワーク、スポーツマンチャンネルで放映されている。 彼の番組は釣りに興味がある人はもちろん、釣りに興味がない人にも釣りの楽しさを伝えられる稀有なものだと思う。その最たる例としてBloopersシリーズの動画再生回数は圧倒的ですらある(YouTubeで視聴できる)。

僕も彼の番組を渡米した大学生の頃から見ていたので、懐かしいと思う気持ちもあるが、それ以上にビル・ダンスの人気の高さを再認識させられる。

ビル・ダンスは1940年10月7日にテネシー州で生まれた。10歳の頃はバス釣りが好きで、将来は釣りに関する仕事をしたいと思っていたそうだ。幸運に恵まれていたことのひとつは、1950年代に入ると、アメリカの国の方針として電力確保のためのダムが各地に造られていき、その結果として釣り場が急速に広がっていったことだ。アメリカではダムが出来上がると、水面の有効利用のためにレジャーボート用のボートランプが必ずといっていいほど造られたし、マリーナや公園なども整備されていった。バスフィッシングが国民的なスポーツとなる基盤は、このあたりから出来始めたのだと思う。

とはいえ、ビル・ダンスも最初から釣り番組のホストになれたのではない。1960年代、彼が20代の時には地元の家具店でセールスマンをしていた。この時はまだバストーナメントは定着していない。興味深いことに、テネシー州のメンフィス市にはアンティークルアーの収集家として名高い、クライド・ハービン氏(故人)が住んでいて、バス釣りが好きなメンバーを集めてバスクラブをつくっていた。当然な成り行きかもしれないが、B.A.S.S.の創設者のレイ・スコット氏がB.A.S.S.トーナメントをスタートさせる前に開催した大会に、ハービン氏のテネシーチームが参加するよう呼びかけた。この大会でテネシーチームは優勝こそできなかったが、この歴史的な大会で最初のバスを釣ったのがビル・ダンスだと、今も伝説として語り継がれている。

ビル・ダンスの功績を調べると、驚きの連続だ。ナショナル・バス・トーナメントでの優勝が23回、B.A.S.S.サーキットで9シーズンを戦い、そのうち3度のアングラー・オブ・ザ・イヤーを獲得。クラシックにも8回出場している。テレビ番組とプロトーナメントの両立は、かなり大変だったと思う。他にもルアーデザイナーとしての活躍も忘れてはならない。僕の記憶には彼が関与したルアーが数多く鮮明に残っているが、そのなかでもダンシングイールとファットフリーシャッドはメガヒットだったといっても過言ではないだろう。

 ダンシングイールは今から30年近い昔に発表された、リップからボディまでを硬質ゴムで一体成型していたために、泳ぎが安定しにくかった。今から10年ほど前にYUMから再販されたものはボディをプラスチックに変更し、コンポジットでソフトボディを装着したことで安定した泳ぎを実現した。今思えばスイムベイトの原点のひとつだったかもしれないルアーだった。一方のファットフリーシャッドは1995年のクラシック開催地が発表された時に、クランクベイトが優勝のキールアーになるだろうと予測して、わずか10カ月で作り上げたというエピソードが残っている。マーク・デイビスがアングラー・オブ・ザ・イヤーとクラシック優勝の2冠を獲得した裏側には、ビル・ダンスのルアーデザインがあったのだ。

ビル・ダンスが開発に関わったルアーで、日本で近年再評価されているのがポッピングイメージJr.だろう。このルアーの開発に際し、ビル・ダンスは「ビギナーがルアーを動かす楽しみを味わえ、なおかつ釣れるルアーを第一に考えた」と語っている。

2019年2月に動脈の部分的な閉塞により入院したビル・ダンス。手術を無事に終えると「20年前よりも気分がよくなった」と陽気にコメントするなど、ファンを安堵させてくれた。現在も彼が関与している企業や団体は多く存在する。今後も我々はビル・ダンスの活躍を様々な形で見られることだろう。