ご存じのとおり、バスフィッシングはアメリカ発祥のレジャースポーツであり、日本のそれは文化的にも技術的にも、本場アメリカのそれを色濃く残している。ならばその本場であるアメリカのバスフィッシングは、どのような人物たちによって作られたのか。この連載は、アメリカのバス釣りに多大なる影響を与えた伝説たる巨人たちのプロフィールである。
JIMMY HOUSTON
[ジミー・ヒューストン]1944年 オクラホマ州生まれ。
スピナーベイトを得意とするバスプロ界の人気者といえば、必ずオクラホマ州在住のバスプロ、ジミー・ヒューストンの名前が挙がってくるだろう。
彼は1944年7月28日にオクラホマ州で生まれた。子供の頃から釣りが好きで、1968年にアラバマ州で開催されたB.A.S.S.史上5回目のトーナメントから参戦している。今年で75歳になるが、いまでも現役でトーナメントに参戦している。
トーナメントの変貌を現役で見続けてきた数少ないバスプロのひとりだ。
バスマスター・クラシックの優勝経験こそないが、出場試合は246試合(2019年5月現在)、クラシック出場は15回にものぼる。バス・アングラーズ・オブ・ザ・イヤーも2度獲得している。
当時のトーナメント仲間のひとりがビル・ダンスで、その影響もあってか、「ジミー・ヒューストン・アウトドア」というテレビ番組を始め、あっという間に人気番組となった(現在はYoutubeで配信中)。また2018年にはレンジャーボートを代表して、ドナルド・トランプ大統領に会うためホワイトハウスを訪問する(メイド・イン・アメリカの製品を集めたサロンがホワイトハウスにあるため)など、精力的な活動を続けている。
ビル・ダンスはテレビ番組を始めたときに現役を退いたが、トーナメントの緊張感が何よりも好きだと話していたジミー・ヒューストンは、トーナメントに参戦しながらも、週1回あるテレビ番組を制作し続けている。彼の明るい人柄や、大の子供好きなことが、多くのファンをひきつけてきたのだと僕は思う。トーナメントでの成績が高いこともバスプロの資質のひとつなのかもしれないが、それだけでは不十分だと思う。複数のスポンサーが集まるためには、やはりアングラーの人柄が最重要なのだろう。
彼の人柄を鮮明に表す出来事が2005年にあった。この年のクラシックのメインスポンサーのひとつにビール会社が決まった。しかし宗教心が強いジミー・ヒューストンは、青少年への影響を考えると、ビール会社のロゴが自分のトーナメントシャツに入ることを懸念し、予選で順調にポイントを積み上げていたにも関わらず、クラシック出場を断念してしまった。37年間も参戦し続けてトーナメント・サーキットをやめてしまったことからも、彼の信念の強さを感じ取れるだろう。
アメリカ国内では数多くのバス釣りのテレビ番組が放映されている。近年はYouTubeも含めると相当な数になるだろう。僕自身、それらをすべて視聴しているわけではないが、たまたまチャンネルザッピングの途中で放映していると、つい観てしまう番組が4つくらいある。『ジミー・ヒューストン・アウトドア』はその中のひとつ。バス釣りに関しての知識や技術解説ももちろん面白いのだが、何よりも魚を大切に扱い、自然の素晴らしさやそこで遊べることに感謝し続けていくことを提案し続けている点が、他の釣り番組と異なっていて、番組をより興味深いものにしている。
1996年にプラドコでプロ・シリーズという、バスプロ達が好むペイントを施したルアーを何種類かリリースしたことがあった。この時にジミー・ヒューストンが生み出したブルーギルカラーは、確かにブルーギルの特徴を表現したカラーリングだったが、けしてリアルな色合いではなかった。どちらかというと抽象画のような不思議な雰囲気だったのをよく覚えている。ある時、僕は彼に超リアルなペイントを選ばなかった理由を聞いたら、「まわりのブルーギルと少し違って見えるからこそ、バスにとってのターゲットになりやすいんだ!」と答えてくれた。彼らしい自然観察のなかでの結論だと思うし、同時にストライクは待つものではなく、作り出すものだという彼の信念を感じる言葉だったと思う。
「朝、起きた時に神様が心臓を動かすゼンマイを巻いてくれている限り、バス釣りも続けるし、その素晴らしさを伝え続けていく」という、彼らしい言葉どおりに、ジミー・ヒューストンの活躍は続くだろうし、多くのファンがそれを見守っていくことと思う。本当の意味でのプロフェッショナルなバス・アングラーであると僕は思う。