バス釣り偉人列伝① The Giant.

ご存じのとおり、バスフィッシングはアメリカ発祥のレジャースポーツであり、日本のそれは、文化的にも技術的にも、本場アメリカのそれを色濃く残している。ならばその本場であるアメリカのバスフィッシングは、どのような人物たちによって作られたのか。この連載は、アメリカのバス釣りに多大なる影響を与えた伝説たる巨人たちのプロフィールである。

COTTON CORDELL
[コットン・コーデール]

1928〜2015年 アーカンサス州生まれ

 コットン・コーデールは本名はカール・コーデール・ジュニアと言い、1928年にアーカンサス州で生まれた。コットンの愛称は彼のトレードマークでもある銀髪に由来する。子供の頃から大の釣り好きで、1946年に父親がホット・スプリングス市郊外のキャサリン湖畔のマリーナを買い取り経営することになったが、マリーナから貸し出しているお客のボートがあまり釣れていないと、コットンがアドバイスに走り回ったそうだ。
 コットンがアメリカの釣り具業界に残した功績は、あまり知られていないが驚くものばかりだと思う。最終学歴は高校卒業なので、マリーナでの手伝いはフルタイムででき、その合間にルアー作りに励んでいたそうだ。この頃に作り出したものの1つがバナナ・ヘッド・ジグと呼ばれるフェザー・ジグだ。本来は鹿の毛を使いたかったがなかなか手に入らず、愛犬の毛を使った秘話が残っている。このジグは1952年になるとエポキシ樹脂を塗って発売された。どんな使い方をしても塗装がはげることはなく、たちまち大評判になったそうだ。
 1957年にはシングルブレードのスピナーベイトを作り出した。当時、オムツ用に使われていた安全ピンの片側にジグヘッドを流し込み、もう片方にブレードを付けた物がオワシタ・スピナー(オワシタはアーカンサス州の有名な湖)と呼ばれ、爆発的な人気を呼んだ。この時にコットン・コーデール社を設立し、バーク社、クリーム社そしてクリーク・チャブ社などからの依頼で各社のスピナーベイトを作り出した。
 ヘドン社のソナーなどでも有名なブレード・ルアーの考案者もコットンだと言われている。コットン・コーデール社からゲイ・ブレードという名前で1954年に発売されている。ちなみにソナーの発売は1959年のことだ。
 ラトル・ルアーを世の中に送り出したのもコットンであった。もっとも、ラトル自体はウエイトのサイズを間違えるという偶然の産物であったが、コットンはその音にこだわり、ワン・ノッカーと呼ばれる甲殻類が出す音をホット・スポットに組み込んでいったのだ。
 そして1973年には、クランクベイトの原点と言われるビッグOをプラスティックで作ることによって多くのバス・アングラーに新しい釣りのスタイルを紹介した。元々このルアーはフレッド・ヤングがバルサ素材で少量を作っていただけだったのでバス・アングラーの手に入ることはほとんどなかったそうだ。ここから各社によるクランクベイトの競争が激しくなり、各社がクランクベイトの名前にアルファベットを1文字入れるようになった。
 これらの他にも、クレージー・シャッドやボゥイ・ハウディー等々、現在でも生産販売されている数々の名作を世の中に送り出してきた。
 僕がコットン・コーデール氏に関して、いつもながら感心させられることは、彼が献身的なクリスチャンで、周りの人を助けることをいつも考えていることだ。例えば、ビル・ダンスを釣り具業界へ引き込んだのも、現在ESPNでバス・マスターのテレビ番組を制作しているジェリー・マキネスによる最初の釣り番組のスポンサーになったのもコットンだ。ゲリー・ルーミスがロッド・メーカーを設立したときの資本金の一部や製造器具などはコットンが支援したものだ。ビッグOは発売当初の1年間で130万個を売り切った名作であったが、コットンは僕に500万個作ることができれば全部売り切る自身はあったと言い切った。しかし、自分1人の物にするよりも各社でクランクベイトを普及させていく方がバス・アングラーのためにはよいというのもコットンの考え方であった。
 1980年に引退した時には、1日で2万2千個のルアーを世の中に送り出していたそうだ。その後、コットン・コーデールの功績が評価され、1988年には米国国立淡水漁業殿堂入り、1997年に米国アーカンソー屋外殿堂入り、2002年に米国バス釣り殿堂入りを果たしました。

 彼の口癖は「釣れるルアーには仕掛けが施してある。それを感じ取ってほしい」だった。僕がコーデール社のルアーを使っていて飽きないのは、その仕掛けを見つけだす楽しみもあるからだと思う。

文/ヒロ内藤 Text by Hiro Naito

※この記事は雑誌Rod and Reelに掲載されたものを加筆修正したものです。

ブレードベイトの元祖と言われるゲイ・ブレード。
半世紀を経たいまでも現役として活躍するポテンシャルの高さは、さすがのひと言