ご存じのとおり、バスフィッシングはアメリカ発祥のレジャースポーツであり、日本のそれは、文化的にも技術的にも、本場アメリカのそれを色濃く残している。ならばその本場であるアメリカのバスフィッシングは、どのような人物たちによって作られたのか。この連載は、アメリカのバス釣りに多大なる影響を与えた伝説たる巨人たちのプロフィールである。
HOMMER CIRCLE
[ホーマー・サークル]1914〜2012年 オハイオ州生まれ。
バスフィッシング界の歴史に残る名士といえば、ヘドン社の創業者ジェームズ・へドン、 バグリー 社の創業者ジム・バグリー 、超人気番組司会者のビル・ダンス……とあげていけばキリがない。
そんななかでこの「偉人列伝」で皆さんに紹介したいのは、僕がアングラーとして最も影響を受けた、 アメリカでナンバーワンのバスフィッシングジャーナリスト、ホーマー・サークルだ。彼はヘドン社の副社長も務めた人物でもある。
ホーマーはアメリカで多くの人たちから「アンクル・ホーマー(ホーマーおじさん)」という愛称で親しまれ、 人気のアウトドア記者というだけでなく他の記者たちからも、もっとも尊敬されている人物のひとりだったと思う。
現在、アメリカでは1週間に100本を超える釣り番組が放映されていたり、雑誌やインターネット上の記事まで含めれば、 そこで紹介されているバス釣りの情報は膨大な量となる。そんななか、僕が必ず目を通してきたのが、彼によって書かれた記事だ。もちろん彼の80年をゆうに超えるバス釣り体験から出てくる話も面白いが、純粋にバスという魚が好きな気持ちから出てくる彼の記事が好きだったし、彼のアングラーとしての資質を表現しているように思う。
アンクル・ホーマーは、1914年にオハイオ州に生まれ、12歳の時にはバス釣りを始めていたそうだ。高校卒業後は釣具の販売員として就職。バス釣りの知識を見込まれて地元の新聞に記事を書くようになった。大好きな釣りで生活できるようになることが長年の夢であったそうだ。
1945年には自作ルアーの売り込みのために、ミシガン州のヘドン本社を訪ねている。その時のルアーは商品化されなかったが、逆にヘドン社から広報部の仕事をオファーされてヘドンへ就職。1957年にはヘドン社からスーパー・ソニックが発表されるが、彼はこのプロジェクトに関わっていたばかりか、スーパー・ソニックの名付け親にもなった。
最大の功績は「バス釣りを文化として定着させる礎を築いた」こと。
アンクル・ホーマーが残してくれた功績のなかで、僕が最も重要だと思うのは、バス釣りという遊びを「文化」として定着させる礎を築いてくれたことだと思う。彼は、それまでバラバラで自己の利益しか追求しない釣具業界をまとめあげ、全米釣具協会(当時はその頭文字をとってAFTMA、アフトマと呼ばれていた)を1957年にスタートさせた。釣りは自然とのやり取りだが、普及活動や釣り場改善には政治的駆け引きが必要な場面もあり、それらは個々の力ではどうしようもないことが多い。理想があっても力がなければ夢は現実化しない。逆に力があっても理想がなければ、その方向性を誤ってしまう。現在のアメリカにおけるバス釣り文化は「素晴らしいバス釣りを後世に引き継いでいこう」という理念をもった全米釣具協会が、着々と力をつけていくなかで築き上げてきたものといっても過言ではないだろう。その根本にはアンクル・ホーマーの活躍があった。一夜にして起きたことではないのだ。
もうひとつ、アンクル・ホーマーに関して印象が強いのは、30年間以上も市場に残り続けている『ビッグマウス』というビデオ作品(撮影はグレン・ロー、当時は16ミリフィルムだったと思う)。これにテクニカル・アドバイザー兼出演者として参加しているのだ。この撮影が行われたのは1972年と1973年だが、その映像は現在でも古さを感じさせないばかりか、ハイレベルな内容に驚かされる。現在は『ビッグマウス』とその改訂版の『ビッグマウス・フォーエバー』が市販されているので、興味がある人は一度視聴しておくといいでしょう。アンクル・ホーマーの釣りとバスに対する愛情を強く感じられるだろう。
アンクル・ホーマーは2012年に97歳で亡くなってしまったが、亡くなる数年前までは週に2回ほど、バス釣りに出かけたり、原稿を書いていたという。そして「バスと戯れ、気のあった仲間と過ごす時間が最高だ」と、よく話していたそうだ。バスフィッシングという文化における彼の功績は、今も昔も変わらず大きい。まさしく歴史に残る偉人と呼ぶにふさわしい人物だ。
文/ヒロ内藤
※この記事は雑誌Rod and Reelに掲載されたものを加筆修正したものです。